以前どこかの居酒屋で
「左右の水槽の水を入れ替える」問題を出されたことがある。
血液型による手段の違い(性格の違い?)としてTV放映もされたネタらしい。
オレとしては「左右の水槽を入れ替える」と即答したんだが、
実際TV放映でもAB型はそうしたらしい。
番組自体はねつ造だったとかいろいろ問題があったらしいが、
その問題を出された居酒屋では間違いなく
AB型全員が「水槽の位置入れ替え」と即答しているし、
AB型以外の人は、道具にこだわってみたり、自動化を図ってみたり、
アイデアがそれぞれ異なっていたのが興味深い。
これって、血液型によって回答の傾向を探るような問題だったので、
様々な回答が出ることが期待されたけど、
一般的に言って教育の場ではコレとは全く違うアプローチが行われ、
「水槽の位置入れ替え」なんて技は「無し!」「論外!」と
一喝されるのが教育現場だろう。
出題者が想定した回答傾向から全く外れた答えなど期待していないし、
その評価もできないからだ。
これを続けると、ゴールへの最短距離を探すとか、効率の良い方法を探す事、
つまりイノベーションが目的ではなくなり、出題者の意図している回答を
探す事が重要だと思うようになる。
社会人になると、
課題解決とは「出題者が意図した回答にたどり着く事」では無くなり、
その場その場で最適解を探す事にが仕事になる。
出題者不在、誰かが意図した解など存在しない、
そういう課題が日々発生するのが仕事になるのだが、
何年にも渡る教育で、自由な発想で考える芽は摘まれてしまっている。
そうなると、出題者の代わりに、上司の評価が高い解を探す事が仕事になる。
それはイノベーションから一番遠い環境だし、仕事の仕方だろう。
イノベーションを起こすには、周りが突拍子もない発想だと思ったことでも、
芽を摘まない、それを育てる環境が必要なのだろうと思う。