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許してもらえないなら謝らない!に感じる強烈な違和感

普段は 自分の意見と違っても「ああ、そ〜ゆ〜意見もあるよね。」と、あまり反応しない様にしてるんだけど これはだいぶ違和感があるなぁ。

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https://toyokeizai.net/articles/-/398098

オレが小学校の頃に「謝罪」についてクラスで討論する機会があったワケです。
このとき違和感を感じたのは 主に女子からの
許してもらえないなら謝らない!
という意見でした。

子供ながらに「それって 謝罪とちゃうやん!」と感じたのです。

謝罪とは 己の言動で誰かに迷惑をかけた、傷つけた事実についての反省を表明することであって 許してもらえるかどうかは 別次元の話だと思っていたからです。
この記事は「許してもらうスキル・技術」を謝罪という行為と一緒くたにしているように感じます。

見た目上手に謝罪すれば許してもらえるよ!
見た目下手だと許してもらえないよ!

やっぱり「それって 謝罪とちゃうやん!」と感じます。

政治家や著名人、芸能人の場合は 社会に「許して」もらうことが優先で 実際に反省しているかどうかよりも「反省した様に見える態度」が重要かもしれません。
でも 一般人としては「心から反省」しないことには 結局同じ失敗を繰り返し 人が離れていく結果につながることは明白だと思うわけです。

小学校のときに聞いた「許してもらえないなら謝らない!」という態度は、
「あなたを友だちとして大切に思っていません、
私は反省などしていませんし、
気に入らないならどうぞ私から離れていってください。」
と言っているように思えてしまうのです。

それと同じ様に、
「謝罪とは許してもらうスキル・技術」だ!というスタンスは、
「あなた方とは 上っ面を繕えばいいと思ってます。」
という宣言に思えてしまうのです。

身勝手・わがまま放題な大人が増えてるのは
こんなところにもあるのかもしれないなぁ、
と残念に思った次第です。

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