世の生き辛さは、量産される、
後から取って付けた様な道徳や常識によるものも多い。
キリストに会ったこともないパウロが広めたキリスト教以来なのか、
もっと前からわからないけど、現代でもそれは継承されていて、
日々息の詰まる世界へ邁進していると言える。
どんな人だって
完璧に法律を遵守した生活をおくっている人なんて居やしないのに、
芸能人がちょっと法的に不謹慎な発言をしようものなら、
ここぞとばかりにマスコミが叩く、ネットが叩く。
理由はひとつって訳ではないけど、
道徳には程度が規定されてないのも問題かな。
言うこと聞かない子供に、叱りながら軽く叩く、
くらいなら、世間的にはまぁOK、
だけどぶん殴るのはどうよ?って境目が曖昧なままだった。
今なら、軽く叩くんだって、場合によっちゃ炎上しかねない。
夜中の田舎道、1時間に1台も車が通らない4mにも満たない道路、
こんなとこで律儀に信号を守るヤツなんざ居やしない。
新宿や渋谷なら顰蹙だけどね。
じゃあ、1時間に車何台までならOKなんて定義はない。
そもそも信号は守るべきだから、
例え1時間に1台の田舎道だって、守らない奴は吊るし上げなのだ。
こうなってくると、お互いに顔色見ながら、
今ならこれくらいまでならOK?って、
とにかく世間に叩かれない、
多くの人の常識の平均値的な道を探しながら生きてくしかない。
これが高じて、なんでもかんでも人に聞いて教えてもらって、
人と同じことしてれば安心って文化が広がっちゃうくらい
バカバカしいことはないよね。
みんながやってることならOKで、
みんながやらないことはリスクが高すぎて誰もやらない。
自分たちでイノベーションが起きない構造にがんじがらめになって、
好きなことより 誰にも笑われない、叩かれないことだけを
目標に生きることで精一杯になっちゃってる。
そんな社会って楽しいかしら?